おせち料理のたどってきた歴史

おせち料理とはその歴史は古く紀元前2から3世紀には始まっていたと考えられています。季節の節目に神様に感謝し、収穫したものを供えてそれを食べたのが始まりです。以後宮中で、天皇のもとで正月一日、七日、一六日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日、新嘗祭翌日、釈奠、盂蘭盆のそれぞれの節日に行われた饗宴で供された節会の料理のことを差すようになり、やがて庶民にも伝わっていきました。江戸時代には幕府が公的な行事として五節句を定め、七草の節句に食べる七草粥、桃の節句に食べる菱餅や白酒、菖蒲の節句に食べる柏餅やちまき、七夕に食べる素麺、菊の節句には菊酒など節句に食べる料理をお節句料理、お節料理と言いました。

現在では正月の三が日、松の間に食べる料理のことをおせち料理と言うようになりました。もともと、神様に捧げるものですので、三方や、式台、床の間に裏白や昆布、松等に上に食材を飾り付ける風習が有りました。江戸では、食積(くいつみ)関西では蓬莱飾り(ほうらいかざり)佐賀、長崎の蓬莱台、手懸け盛りと言います。まずは、それらを神様にお供えしてから、後に家族がそのおさがりをいただくのです。

現代ではそれは鏡餅にみられます。正月間は飾って置き、小正月に割って魔を払うといわれるあずきと一緒に煮てぜんざいなどにして食べます。時代により変化してきているおせち料理です。忙しくて作る暇が無くても最近では、手軽に食べられる通販がありますし、個食のおせちも手に入りやすくなっています。

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